宇和高が輩出したデザイン業界のスーパースターの登場です。
クリエティブ・ディレクターとして、愛媛県ほか日本各地で活躍。商品パッケージのデザインに留まらず、アーティストを起用した道後温泉活性化プロジェクトや改修工事、
今治里山スタジアムなど大型施設の空間プロデュースなど、つねに注目を集める事業を展開しています。さらに海外の仕事も数多く手がけている二宮さん、フランスから帰国直後の10月上旬、お話をうかがうことができました。
この日は、デザイン業界を志す生徒の進路相談のために来校。
二宮さんの穏やかで気さくな雰囲気に緊張していた生徒たちも、自分の思いや悩みを素直に語ることができました。
多種多様な業界、幅広い世代のクライアントに信頼を得ているのも納得です。
「いったいどこから、どこまでが二宮さんの仕事ですか?」という素朴な質問にも、丁寧に答えてくれました。
「デザイン」という仕事は想像以上に広いものでした。
「例えば、ミネラルウォーターのパッケージをデザインしてください、という依頼はとても少ない。
そもそも、どんな商品を出すべきか?そんな相談から受けています。
だからお客さんからの依頼は、NINOさん、何をやったらいいですか?という相談がほとんどです。
以前は、商品デザインの仕事が多かった。みなさんが手にとるコンビニの商品もいくつもあるし、チラシもありました。
でも、本当に必要ですか?お金の無駄じゃないですか?そんなことばかり問い続けていたら、今の仕事のカタチに行きつきました」
二宮さんは、市役所、病院、ホテルを起点にした「まちづくり」や、うどん屋さんの麺を開発すること、農家さんの働き方を一緒に考えることもデザインだと言います。
「僕たちが大事にしているのは、物事の本質をお客さんと一緒に考えること。
優秀なデザイナーの人たちと、いつでも仕事をしてもらえる関係を築いておく。
コミュニケーションをデザインすることが本来の仕事だと思っています。」
二宮さんにとって、クライアントとデザイナー、そして社会をつなぐ、ハブのような役割が「デザイン」の仕事なのです。
プロダクトデザイナーに憧れる生徒には、こんな励ましの言葉をかけてくれました。
「AIがデザインできる時代になる。
キャラクターをデザインすることより、なぜ、それをデザインするのか?アウトプットへの視点がすごく大事。
勉強している時に元気をもらえる文房具を作りたいとか、等身大の視点を忘れなければ、生き残れるよ、絶対!」
宇和高ではサッカー部で活躍。
美術の成績はけして良くなかったという二宮さんがデザイナーを目指したきっかけは、部活動引退後、書店で手にした一冊の雑誌でした。
「当時、バッハという本屋があって、AXISというデザイン雑誌を見つけました。
真っ黒な服を着た、すごくカッコいい建築が表紙を飾っていてもう絶対、この世界にいこうって!親にも相談せずに進路を決めました。
先生たちは温かく応援してくれた思い出があります。
でも、そんなに甘い世界じゃないから、志望大学には落ちて、専門学校に入ってから独学でやってきました。」
*「AXIS Vol.80 1999年7・8月号」表紙 SANNA(妹島和世+西沢立衛)
華やかなキャリアと才能の向こうには、不断の努力の積み重ねがありました。
「高校生のときから決めていることがあります。選択肢がいくつもある中で、どこからみても面倒くさいけど、絶対にやったほういいことってあるじゃないですか。
これは絶対にやったほうがいい。毎日の小さい判断の中で、つねに面倒くさいことを後回しにしないでやり遂げる。この積み重ねがすごい差になる。」
そして、宇和高に、こんなメッセージをいただきました。
「いろんな情報があふれているけど、確かなのは自分と、目の前の環境。目の前の家族、目の前の友人。遠い道のりのように思えるかもしれないけど、この環境の中で、目標に向かって、何ができるのか?ほふく前進していくことが大事だと思っています。やってみて壁にぶつかっていくほうが、最終的にははるかに自分の身になる。人生にまわり道はない。ベストを尽くすことが一番の近道です。」